2010年10月3日日曜日

ピーター・セラーズの「チャンス」 Peter Sellers : BEING THERE

たまには映画のはなし。 1979年・・もうだいぶ古くてなつかしいけれど、「チャンス」。原題名は「Being There」。 ピーター・セラーズが庭師の役をやる、ただそれだけの映画なのだけれど、思い出したら無性にみたくなった。
goo映画によれば

ワシントンの古い屋敷の主人が、ある朝突然死んだ。残されたのは中年の庭師チャンス(ピーター・セラーズ)と黒人のメイド の2人。チャンスは、ここ数十年 屋敷の外へは一歩も出たことがなく、読み書きもできず、ひたすら庭いじりとテレビを観る楽しみだけで生きてきた男だ。やがて管財人に屋敷を出て行くように 言われたチャンスは、街の喧騒の中に飛び出すことになる。見るもの、出合ううものが珍しく、それらに気をとられていたチャンスは、1台の高級車にぶつけら れ、中に乗っていた婦人に手当てを受けるため家に寄って欲しいと言われた。車の中でその美しい貴婦人イブ・ランド(シャーリー・マクレーン)に名を問わ れ、庭師チャンスと名のるが、彼女はそれをチャンシー・ガーディナーと聞き違えた。やがてその車が着いたのは経済界の大立物ベンジャミン・ランド(メルビ ン・ダグラス)の邸で、貴婦人は彼の妻だった。ランドは高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスの子供のような無垢さに接していると気持ちが安らぐの を感じた。数日後、ランドを見舞いにやって来た大統領(ジャック・ウォーデン)は、そこでチャンスと会い、庭の手入れに例えた極めて楽観的な意見に耳を傾 けた。大統領はさっそくTV放送のスピーチでチャンスの言葉を引用し、それをきっかけにチョンシー・ガーディナーの名は一躍全米に知れ渡るようになる。そ れからチャンスのTV出演などの奇妙な生活がはじまるが、彼の本当の正体を知る者はいなかった・・・。

シャーリー・マクレーンが演じる素敵にかわいいレイディー役もいいのだけれども、とにもかくにもピーター・セラーズの演技がすばらしい。彼への当て 書きかともおもえるほど、はまり役。もちろんオスカーの候補になったのだけれども、その年は、クレイマー・クレイマーもあった年で、ダスティン・ホフマン に主演男優賞はもっていかれた。 キネマ旬報のベストテンでは、当時7位。1位はブリキの太鼓だったから、時代の感じがわかるというもの。

あらすじを読んでもわかるとおり、とっても地味な映画。何か特別なことが起きるわけでもない。ただ、その淡々とした時間の流れに、何か安堵な気持ち になる、ふしぎな魅力をもつ映画なのだ。この映画的時間の流れに、その制作された時代の何かもうっすらと感じられて、それだけでも30年たった今にとって はふしぎなタイムスリップ感にとらわれる。かつて場末の名画座で一度だけみた映画を、こうも無性にみたくなったのは、この「チャンス」に流れる、なつかし いようなふしぎな感覚に出会いたかったのだ・・と、この映画をみはじみえてあらためて気づいた。

そうそう、映画の中で、デオダートの「ツアラトゥストはかく語りき」がまるまる1曲流れているシーンがある。これも時代背景かなと思ったら、この本 の原案が「ツアラトゥストはかく語りき」を下敷きにしていたというかから、むべなるかなと思った次第。原題の「Being There」もハイデガーの「存在と時間」からとられている、というから、これらの隠し味のあたりは、ハル・アシュビー監督の見事な采配なのだなあ、と改 めて「映画」のもつ、時代の鏡のような部分を感じる。

つづきはこちら↓
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