2010年5月30日日曜日

魔に魅入られる珠玉のアルバム~対話の可能性:日比谷カタン(2004)

日比谷カタン・・。真打ちの登場である。

アルバムをかけるなり、ジャンゴ・ラインハルト的な音階のギタープレイがこころを射る。自分の中にあった何か、こころの地平線の地下にもぐっていた 部分をまずは刺激するのだ。えぐりだしてくるといってもいい。ムズムズするような、それでいて快感。自身の中の葛藤がここちよく目の前にだされ、自らが ディス・コントーローラブルな状況におちいる。


「スキゾフレイニアパルトメント」のカタンの歌声による世界観の快感・・。「カタコンブの花」の七色の歌声の自由さ、「ネクロヴァルセ」のギタープレイの 確実さ。「ブツブツ膏」の超技巧的なギターと歌詞の調和の心地よさ、「スガスガしい休日」の転調の快楽にひたる・・・聞き手にはもはや逃げ道はない。

この音楽体験を、「別世界への探訪」ととらえる人も多いのだろう。自らの世界とは別のもの、とくくることによって、その人は自らを安全地帯に置こう としているにすぎないのだが、その抵抗は決して長続きはしないはずだ。

このアルバムを聴いたら最後、それを拒否しようとも肯定しようとも、このアルバムの呪縛からのがれることはできない。この体験を自らが受け入れるか 否かを確実に判断しなければならない状況におかれるからだ。その「容赦のなさ」という意味で、常にカタンは非道(!)である。

Card Bop Textlogy;対話の可能性

世知辛い世と存じます これも何かの縁かと 先ずは卓を囲み牽制 紫煙の彼方
見事欺かれた過去 透かし翳してみましょか 然るべき対話の可能性 その他 の可能性
絶対者不在 時間無制限 安全は保障 背水の陣まで
有象無象に愛を問いましょう 便宜上 問題ないと
刹那皆まで申しません これも何かの縁かと 視点焦点論点など 憂いの彼方
見事謀られた未来 信じ念じてみるとか 然るべき対話の可能性 その他
あれもそれもどれもこれも

・・・事態はまさに
「閑話休題かと。ざっと見たとこ人種の差は否めず。」
「つかスットコドッコイでクルクルパーなボクは意味がわかりません。」
「Hey!Yo! Your机上の理論Necrosis。GenomeにゃRealなStudyでしょう。」
「なによ。なんなのよ。あんた如きに言われる筋合いないわ。」
「どうせみんな死んじゃうんだし。あきらめましょあきらめましょ。」
「アキラメテハイケマセン。神ニ祈リナサイ。」
「どんぐりの背比べたいした効果はないです。よ。」

世知辛い世と存じます これも何かの縁かと のらりくらりのべつ幕無し 戯連も流石
見事欺かれた過去 検討するも虚しく 交わすべき対話の可能性 じたいの可 能性
絶対者不在 時効未成立 推定で無罪 今際の際まで
有象無象が愛を乞うでしょう 経験上 問題外と
刹那皆まで申しません これも何かの縁かと 宴も酣でございましょう 出口は其方
見事謀られた未来 騙し演じてみるとか 素知らぬ顔の闊歩闊歩 自己愛の全う
自己愛の全う 自己愛の全う 自己愛の全う
THE END

「対話の可能性」の対話とは、誰との対話なのか・・とふと考えてみると、それは悪魔なのか天使なのかというところにたどりつく。決して人間ではな い。そもそも日比谷カタンは人間ではないのだ。悪魔と取引をした結果得られた天賦の才なのか、それとも天使とつるんだ神のご加護なのかはわからないが、わ たしたちが日常で用いる人間界でのスケールでは太刀打ちできないのは自明の理である。

だから、彼の前では、素直に自らのありのままになるしかない。それは、虚飾を廃した自らの素顔を眼前につきつけられるという意味で、残酷な行為であ る。その妖しい自らの姿を見て、絶望するもよし。しかし、それはあくまで幻想の「自ら」がその程度のものであったということだけで、決してカタンが悪いわ けではない。彼は天使の代理人として、「自ら」の輝ける未来?の世界の断片をチラ見せさせてくれるだけなのだ。

つづきはこちら↓
 http://bit.ly/bUEXCq

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