この哀しくせつない、彼のサウンドを聴くと、無性にジャンヌ・モローのあの街をひとりさまようにあるく姿が浮かんできます。まさに音楽と映画がひと つになった傑作ですね。
死刑台のエレベーター[完全版]/マイルス・デイヴィス
Ascenseur pour l’echafaud Miles Davis
こちらで一部試聴できます
1. テーマ
2. カララの殺人
3. ドライヴウェイのスリル
4. エレベーターの中のジュリアン
5. シャンゼリゼを歩むフロランス
6. モーテルのディナー
7. ジュリアンの脱出
8. 夜警の見回り
9. プティバックの酒場にて
10. モーテルの写真屋
11. シャンゼリゼの夜(テイク1)
12. 同(テイク2)
13. 同(テイク3)
14. 同(テイク4)
15. 暗殺(テイク1)
16. 同(テイク2)
17. 同(テイク3)
18. モーテル
19. ファイナル(テイク1)
20. 同(テイク2)
21. 同(テイク3)
22. エレベーター
23. 居酒屋(テイク1)
24. 同(テイク2)
25. ドライヴウェイ(テイク1)
26. 同(テイク2)
『死刑台のエレベーター』は1957年制作のフランス映画。ルイ・マル監督の出世作であり、主人公のモーリス・ロネとジャ ンヌ・モローが不倫関係の末、殺人を犯すという、いわゆるサスペンス映画。その音楽を担当したのはオリジナル・クインテットを解散した直後のマイルス・デ イヴィス。57年にマイルスは単身渡仏、現地のバルネ・ウィラン、ルネ・ユルトルジュ、ピエール・ミシュロ、ケニー・クラークを含むクインテットでツアー を行い、それが終了後、同じメンバーで映画音楽に取り組んだ。事前に映画に目を通していたマイルスはあらかじめいくつかのメロディの断片を用意、本番では ラッシュ・フィルムを観ながら即興で音楽を完成させていった。そのため映画のサウンドトラックとはいえ、演奏はジャズそのもの。サスペンス映画ということ で、それにあわせた緊張感 あふれる演奏が特徴。本作はオリジナルLPに未収録だった別テイクをすべて追加したコンプリート盤で、映画用に加工される前の生の演奏を聴けるのが魅力 だ。(市川正二)
二五歳の仏映画界の新人監督ルイ・マルが、推理作家ノエル・カレフの原作を、自身と新進作家ロジェ・ニミエの共同で脚色、 ニミエが台詞を書いた新感覚スリラー映画。キャメラは新人アンリ・ドカエ。巻頭から巻末までを十曲のモダーン・ジャズで通した音楽はトランペット奏者で作 曲家のマイルス・デイヴィスで『メイン・タイトル』『エレベーターの中のジュリアン』『夜警の巡回』等と名づけられた十曲が演奏される。種々の新しい試み によってこの作品は一九五七年ルイ・デリュック賞を得た。「抵抗(レジスタンス)死刑囚の手記より」に主演したフランソワ・ルテリエが第二助監をつとめて いる。出演者は「宿命」のモーリス・ロネ、「現金に手を出すな」のジャンヌ・モロー、「素直な悪女」のジョルジュ・プージュリー、「親分」のフェリック ス・マルタン、「夜の放蕩者」のリノ・ヴァンチュラ、「悲しみよこんにちは」のエルガ・アンデルセン等。製作イレーネ・ルリシュ。
原作:ノエル・カレフ
脚本:ロジェ・ニミエ、ルイ・マル
監督:ルイ・マル
音楽:マイルス・デイヴィス
撮影:アンリ・ドカエ
レコーディング・セッションは夜のポスト・パリジャン・スタジオで、リラックスした雰囲気の中でとり行われた。この映画で ヒロインを演じたジャンヌ・モローもセッションに顔を出し、スタジオ内に仮設されたバーの方から、ミュージシャン達に向けてにこやかな微笑みを投げかけて いた。プロデューサーやエンジニア達も集まってきた。この映画に対してマイルスがつけ加えようとするものがあれば、それを細大もらさず掬い上げようという 心づもりのルイ・マル監督も、当然のことながら駆けつけていた。すっかりリラックスしたミュージシャン達は、スタジオ内のスクリーンに映画の主要シーンが 映し出されるにつれ、次第に映画の雰囲気に引き込まれて行き、やがてフィルムの進行に合わせてインプロヴィゼーションを繰り出していく。
ところでレコーディングされた中の1曲(モーテルのディナー)では、マイルスのトランペットが不思議な鳴り方をしている。これはマイルスの唇の薄皮 が剥がれ、マウスピースに詰まったのをそのままにしておいたため、このような音になった。たとえば画家の場合だと、人工的な感じを出すため、わざとこの種 の偶然を利用するケースもある。しかし、音楽関係においては前代未聞のこのようなシカケ(文字通り、こんな音楽はいまだかつて耳にしたことがない)をマイ ルスが歓迎する気になったのは、彼の中に画家の場合と同じ効果を期待する心があったからだろう。この偉大なる黒人ミュージシャンと、尊敬すべき彼のチーム メイトによって造形された、聴く人の心を虜にするような、この音楽の悲劇的雰囲気は、たとえ映像から切り離された場合にも、その魔的魅惑を失うことはない だろう。私はそのことを信じて疑わない。[ボリス・ヴィアン 1957年](訳:和田政幸)
ルイ・マルが若干25歳でこの映画を撮ったことが奇跡であるならば、ジャンヌ・モローの美しさも、マイルスの天才的インプロヴィゼーションもすべて が、奇跡の融合であったのでしょう。このイメージの連鎖をこの映画に触れたすべての人が共有している・・その意味でもまさに傑作中の傑作ですね。
ところで、この映画、この秋に日本でリメイクされるとか。果たしてこれだけのイメージがかたまったものを、これだけの才能が凝縮されたものを、どの ようにリメイクできるのか・・どのような勝算があってプロデューサーが挑んだのかわかりませんが、場合によっては、怖れを知らない試みにさえみえる挑 戦・・果たして・・・どうなのでしょう・・・。日本映画のいまの状況の何かがそうさせているのかもしれませんが、新しい映画が仮にどのような傑作であって も、かつてのファンにはなかなか難しい挑戦かもしれません・・・。
つづきはこちら↓