2010年4月13日火曜日

「『正解』に囚われない知性を」「国境なき東大生」VS「学の独立」「グローバル早稲田」~東京大学・早稲田大学それぞれの入学式式辞

4月も櫻の散るころ。この頃になると、いろいろなところで入学式のシーズンですね。

4月12日、東京大学の入学式があったとのこと。東京大学の式辞は、かつて、卒業式で当時の大河内一男総長が、J.S. ミルの言葉「ふとった豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」を引用するなど、なかなか時代を反映していて興味深いです。今年はと思ってみてみることに しました。ちょっと長いですが、全文引用します。

平成22年度東京大学学部入学式総長式辞
平成22年(2010年)4月12日

東京大学総長  濱田 純一

東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。東京大学の教職員を代表してお祝いを申し上げます。これから皆さんが、この大学のキャンパス で、充実した学生生活をお送りになることを願っています。

そして、また、皆さんがいま、こうしてここにいることを可能にして下さった、皆さんのご家族はじめご関係の皆さまにも、心からお祝いを申し上げたい と思います。

今年の学部入学者は3,163名です。その内訳は、いわゆる文系の皆さんが1,310名、そして理系の皆さんが1,853名となります。また、後期 日程での合格者は、98名です。男性と女性の割合は、およそ4対1、また、留学生の数は46名です。

これだけの多くの数の皆さんに、長い歴史と伝統を持つ東京大学の、もっとも若々しい力として、これから活躍いただくことになります。

東京大学については、皆さんはすでにいろいろなことを知っていると思いますが、この機会に改めて、これから皆さんが、その中で少なくとも4年間を過 ごすことになるであろう、東京大学という組織の全体像を、簡単にお話しておこうと思います。

東京大学の教員は、およそ4,000名近くいます。また、事務系・技術系の職員は約2,000名、そして在籍している学生の数は、およそ2万8千名 で、学部学生の数と大学院学生の数が、ほぼ半々という状況です。東京大学の主なキャンパスは、本郷と駒場、そして柏の3つですが、さまざまな実験施設や観 測施設、演習林などが、北海道から鹿児島まで、日本全国に存在しています。さらに海外にも、各国の大学や研究機関との協力によって、何十もの研究の拠点が あります。皆さんが旅行などをした時に、思いがけないところで東京大学の表札に出会うことがあるかもしれません。

東京大学では、このように、たくさんの教職員や学生が、日本だけでなく世界のさまざまな場所で、人間の存在や生命現象の仕組み、そして、宇宙や物質 の成り立ちに対する根源的な研究、また、人々の社会生活を支える科学技術の開拓、あるいは社会的な制度や理論の構築など、幅広く多様な学術研究に携わって います。そして、それらの豊かで高度な研究を基盤として、未来の社会を担うべき人材が育成されています。

この人材育成、つまり教育の内容については、カリキュラムの改善をはじめ、東京大学ではさまざまな努力を重ねてきました。学術の確かな基盤をしっか りと身につける専門教育の高い水準とともに、教養学部で行われているリベラルアーツ教育は、東京大学の大きな特徴です。「知」の大きな体系や構造を見せる 「学術俯瞰講義」、また、新しい課題にこたえる学部横断型の教育プログラムといったものも実施されています。

また、こうした授業そのもののほかに、奨学制度やキャリアサポートの充実、さらに学生相談体制の整備なども、大学として近年とくに力を入れてきてい るところです。

このような教育環境を整えることによって、皆さんが持っている素晴らしい能力が、この東京大学において、さらに大きく花開くことができるように、引 き続き力を注いでいきたいと考えています。

皆さんが大学に入って、戸惑うことは少なからずあると思います。授業時間の長さや授業のスタイルに、最初は慣れない感じを受けることでしょう。ま た、選択できる授業科目の幅の広さ、多彩さから、授業ごとに変わる教室間の移動距離などまで、高校時代とは大きく異なる環境に出会うことも多いと思いま す。

それは、私自身がいまから40年あまり前に皆さんと同じように入学した当初に、感じたことでもあります。それは一種のカルチャー・ショックのような ものでしたが、振り返るといろいろなことを思い出します。日々の生活上のことはさておき、「学問との出会い」ということで言えば、印象に残っていること が、二つあります。

一つは、授業で「答え」というものをなかなか教えてくれないなあ、ということでした。大学の授業の中では、概念の定義や論理の組立て、あるいは研究 の進め方などをいろいろ学びますが、「正解」というのは、必ずしもすぐには出てきません。これが一つ、私にとって大きな戸惑いでした。このことは、「『正 解』に囚われない知性を」、というタイトルで、すでに皆さんに届いているはずの『教養学部報』にも記しておきました。ここでは繰り返しませんが、学問の世 界では、そう簡単に「正解」というところには到達できないような問題や、「正解」がたくさんある問題、あるいは、そもそも「正解」という観念がないような 問題も少なくありません。それは、これまでの皆さんの受験勉強とは、大きく違うところです。


つづきはこちら↓
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